「わだつみ」の意味は―

  まず、「わだつみのこえ」とは、私どもの日本戦没学生記念会(わだつみ会)が設立される契機でもありました 1949年刊行の『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記―』という遺稿集の書名に由来しています。戦没学生の手記を編集した書物に『きけ わだつみのこえ』という書名が付けられたところから、この「わだつみ」という言葉が現代日本社会に一般に普及し、「わだつみ世代」などの語用例も生じてきたわけですが、その由来は次のとおりです。

  戦没学生の手記を編集する過程で、編集委員会は戦没学生の遺稿を募集しましたが、同時に、この遺稿集の書名も募集しました。そして、たくさんの応募作の中から、「果てし無きわだつみ」という書名案を寄せられた藤谷多喜雄氏がその応募用紙に添え書きされた次の詩(和歌)によって、『きけ わだつみのこえ』との書名が最終的に採用されました。この詩は、現在の版の『きけ わだつみのこえ』(新版、第一集、第二集)の扉裏にも掲げられています。

      なげけるか
      いかれるか
      はた もだせるか
      きけ はてしなき わだつみのこえ

  したがいまして、「わだつみ」の意味を問われましたときに、先ずは、この戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記―』の書名にこめられた意味をもつ「わだつみ」であるということを強調したいと思います。その上で、「わだつみ」の語義をたどりますと、「わたつみ」または「わだつみ」(「た」に濁点を付けても付けなくても、「わだつみ」と、濁音で読むことが多いのです)は、日本の古語で、例えば現存する最古の歌集『万葉集』(8世紀半ばまでの約350年間ぐらいの間に詠まれた各種の歌が集められています)では、「綿津見」と表記され、「海を支配する神霊」または「海」そのものの呼称として用いられています。ただし、「海を支配する神霊」あるいは「海神」という意味で使われたときに、なにか特定の物語の「神話」があるとは考えられません(そのような「神話」は伝えられていません)。そして、この『万葉集』以後の、主に和歌の世界では、「わだつみ」とは「海」そのものを、雅やかに、または婉曲に表現する言葉として伝統的に用いられてきたと考えられます。先の藤谷氏がこの語を選んだのも、また、編集委員会がこれを採用して書名としたのも、この古語に仮託して、あらゆる生命の基である海の千変万化の相貌によって戦没学生を悼み、彼らの遺念を表現したものと思います。

  また、藤谷氏あるいは編集委員会が「わだつみ」(海)をこの戦没学生の遺稿集のイメージに重ねたのは、この遺稿集が編集される機縁ともなり、先に出版されました東京大学出身の戦没学生の遺稿集『はるかなる山河に―東大戦没学生の手記―』(1947年刊) の「山河」と対比させる意図があったとも考えられます。『はるかなる山河に』の好評にこたえて、全国の大学・高等学校・高等専門学校出身の戦没学生の遺稿集を刊行する計画がねられ、『はるかなる山河に』のいわば続編として『きけ わだつみのこえ』は刊行されています。これは当時の記録や証言により裏付けられているわけではありませんが、たぶんその場合に、戦時中に国民的歌謡ともなっていた「海ゆかば」の歌詞の連想がはたらいたのではないかと推測することもできます。

  ちなみに、「海ゆかば」は、1937年に作曲家・信時潔(当時、東京音楽学校教授)が「国民歌」として作ったもので、『万葉集』巻十八におさめられている、大伴家持が賀歌としてつくった長歌の一節を歌詞としています。

      海ゆかば 水漬く屍(みずくかばね)
      山ゆかば 草むす屍
      おおきみの辺(へ)にこそ死なめや
      かえりみはせじ

  この歌は、「国民精神総動員運動」の中で普及し、「大東亜戦争」開戦の日には繰り返しラジオ放送で流されるなど、戦意高揚のためにもちいられました。そして戦争末期には大本営が死者を報じるラジオ放送の際に鎮魂歌のように使われました。また、1943年10月21日に明治神宮外苑競技場でおこなわれた文部省・学校報国会主催の「学徒出陣壮行会」会場でも演奏・歌唱され、その模様はニュース映画によって全国で放映されています。したがって、「海ゆかば」の歌詞の連想から、「わだつみ」の語のイメージを発案・採用する過程で、天皇の命令で動員され、出陣して、還らぬ人となった学徒たちの真情を「かえりみる」含意がこめられているという解釈にもつながるのです。

  このような経緯で応募者藤谷氏と編集委員会の合作として成った「きけ わだつみのこえ」という言葉は、この書物が戦後のベストセラーのひとつとして普及(現在までの販売部数は約2百万部)する過程で、新しい意味を帯びてきました。つまり、「わだつみ」とは、戦没学生あるいは戦没兵士たち、または、戦場に動員された人びとを指す言葉としても用いられるようになりました。また、私どもの「わだつみ会」が掲げたスローガン――「再軍備反対」、「青年よ再び銃をとるな」、「戦没学生の悲劇を繰り返すな」など――と、「不戦の誓い」を掲げて今日まで続けてきた「不戦の集い」などの本会の不戦・反戦・平和のための活動とイメージが重ねられて、今日では、「わだつみ」とは「不再戦の意思」という独特の語義を得ているともいえます。

  もとより、このように社会的・歴史的に使用されてきました「わだつみ」という言葉の一般的語義について、以上のご説明は、私どもの日本戦没学生記念会(わだつみ会)の公式見解というものではありません。事柄の性質上、このお答えは本会事務局の一担当者の管見としてご了解いただきたいと思います。
     2001年3月30日         

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